いかに死ぬか≒いかに生きるか。だと最近考えてます。
死ぬ時は一人だと。
苦しいのはヤダな。痛いのもイヤだ。でももしも知らないうちに死んでて(寝ながら心臓発作とか)もしも死んだ事に気付かずに魂とかあってさ迷い続けたら…それもヤダ!
なにが言いたいかと言うと、何ヵ月か前、母が倒れたんですよ。
そして、今日 何度か面識のある方が亡くなったんです。
死を感じる事が結構身近な年になってきました。
でもよく考えたらニュースとかで「〇〇さんが肺炎で亡くなりました」とか「癌でした」とかよく言いますよね。
…………普通に聞き流してたけど、どっちも無茶苦茶苦しいじゃん!!
風邪引いた時の事や無茶苦茶重い生理痛を想像してみる……く、苦しいよ〜(>_<。)
苦しまないのはあきらめ半分の方が良いのかも…
取りあえず原因を減らす努力だけして(禁煙を続けるとか食事に気を使うとか)あとはなるようになる!としか出来ませんよね。
そこで「なるようになった時、後悔するのはどんな事か」について考えてみた。
何度考えてもひとつ!「やりたい事を残す」!これは絶対いけない!
愛する人をきちんと愛しきらないのとか。
まぁ痩せたいけど食べたいとか自堕落な生活したいけど絵を描いてオサレな生活もしたいとか、反対の事を望んでしまったりもしてしまうのですが…
取りあえず愛する人をもっと愛して、愛される努力もして、自分の事もきちんと愛して生活すれば、最期の時も愛する人達に囲まれるコトができるんじゃないだろうか。
愛する人の死ぬ時にもいっしょにいれるんじゃないだろうか。
ってまだまだ愛する人達には死んでもらいたくないですが。絶対に!
今 後悔してるのは…
ヒドい事を押しつけて絶縁してしまった人に謝れたらいいな
とか
もう一度会いたいなって思ってる人がいる
とか。
幼すぎて気付かなかったけど、愛してた人がいたんだなぁ。
もう一度笑いあいたいな。そんな人達がいます。
ってノスタルジックになって今日の日記はおわり。